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November 23, 2008 space
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呪いの宝石 正体はルイ14世のブルーダイヤモンド

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米スミソニアン協会(ワシントン)所蔵される「呪いの宝石」として知られるダイアモンド「ホープ・ダイヤモンド」が、フランス革命の混乱のさなかに盗まれた太陽王ルイ14世の「ブルーダイヤモンド」をカットした物だったと確認された。。。
 

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 仏国立自然史博物館が18日、発表した。同博物館で発見されたブルーダイヤの鉛の複製に、一回り小さなホープダイヤがぴったり収まったため、「99パーセント同一」と判定された。
 
スミソニアン側も2005年、ブルーダイヤモンドのスケッチを基に「同一のものとみられる」との結論を出しており、双方で同じ結論に達したことになる。
 

ホープダイヤモンド - Wikipedia
 
ホープダイヤモンドは、現在スミソニアン博物館のひとつである国立自然史博物館に所蔵されている45.50カラットのブルー・ダイヤモンド。

クラリティはVS1。赤い燐光を発する。
『呪いの宝石』として著名。
 
世界中を旅した宝石だけあって、その大きさはころころと変わっている。具体的にいうと以下のとおり。

* 112.50カラット―ルイ14世購入時
* 69.03カラット―14世がハート型にカットさせた為
* 44.50カラット―今に伝わる大きさ。どの時点でカットされたかは不明。


 
* 1660年(または1661年)

フランス人ジャン・バティスト・タヴェルニエがダイヤを購入。112と3/16カラットあった。
 
「呪いの伝説」ではヒンドゥー教寺院に置かれた女神シータの彫像の目に嵌められていた2つのうちの1つを盗み、それに気づいた僧侶があらゆる持ち主に呪いをかけたとされる。また、タヴェルニエは「直後に熱病で死んだ」あるいは「狼に食べられて死んだ」ことになっているが、そのような事実はなく、84歳まで生きながらえた。

* 1668年

タヴェルニエからフランス王ルイ14世がダイヤを購入。カッティングされ67と1/8カラットの宝石となり、「王冠の青」あるいは「フランスの青」「ブルーダイヤモンド」と呼ばれた。ダイヤは王の儀典用スカーフに付けられた。

* 1749年

フランス王ルイ16世はダイヤを自らの金羊毛騎士団用ペンダントに付け直した。
 
* 1792年9月11日

6人の窃盗団が王室の宝玉庫に侵入し、ダイヤを含む宝石類を強奪。当時はフランス革命のさなかで、国王一家は幽閉されていた。

窃盗団の一人、士官候補生ギヨは宝石類を後にルアーブルやロンドンで売りつけようとしていたことがわかっており、1796年には別の宝石を売っているが、問題のダイヤに関する記録はない。

* 1812年9月

イギリスのダイヤモンド商ダニエル・エリアーソンがダイヤを所有していたことが記録に残っている。このダイヤが「フランスの青」から切り出されたものであることは2005年にスミソニアン協会に、2008年にはフランス国立自然史博物館によって最終的に確認された。また、この時点が今日につながるホープダイヤモンドの確実な記録としては最古のものである。

このタイミングが窃盗からちょうど20年後であったことに、犯罪の時効との関連を見る向きもある。また、イギリス王室の記録にはないが、ジョージ4世がダイヤを入手したと信じる人もいる。
 
* 1824年

ヘンリー・フィリップ・ホープの宝石コレクションとして記録される。彼はダイヤをブローチに取り付けて、義理の姉妹に当たるルイーズ・ベレスフォートにダイヤをしばしば貸し出し、彼女は社交パーティでそれを使った。

「呪いの伝説」では「1830年頃にロンドンの競売で1万8000ポンドで落札した」とされる。

* 1839年

ヘンリー・フィリップ・ホープ死去。以後3人の甥が10年以上に渡ってダイヤを含む宝石の所有権を裁判で争った。その結果、ヘンリー・ホープが宝石の相続人となる。
ヘンリー・ホープは、1851年のロンドン万博と1855年のパリ万博にダイヤを展示したが、普段は銀行の大金庫に保管していた。

* 1862年12月4日

ヘンリー・ホープ死去。未亡人のアデーレが宝石を引き継ぐ。

「呪いの伝説」では「ヘンリー・ホープは生涯独身だった」とされるが、上記の通り事実ではない。

* 1884年3月31日

アデーレ死去。

* 1887年

ヘンリーとアデーレの孫(娘の子息)であるヘンリー・フランシス・ホープ(以下フランシス・ホープと略記)がダイヤを相続。彼は名前に「ホープ」を加えることを条件にアデーレの遺産を相続した。ただし、それは終身保有権に限られていたので、裁判所の許可なしには一部といえど売却できなかった。
 
* 1894年11月27日

フランシス・ホープ、アメリカ人女優のメイ・ヨーヘと結婚。

メイは「ホープダイヤをいつも社交界の集まりで身につけ、女優業のために精巧な複製も作った」と証言したが、フランシスは否定している。

* 1896年

フランシス・ホープ破産。ホープダイヤの売却を迫られ、メイもそれを手助けした。

* 1901年

フランシスにホープダイヤの売却の許可が下りるが、メイは元ニューヨーク市長の子息のもとに走り、翌年フランシスとメイは離婚。フランシスは1904年に再婚する。再婚した夫人は1912年に亡くなり、しばしば「呪いの結果」といわれるが、3人の子どもをフランシスとの間にもうけている。

ダイヤは2万9000ポンドでロンドンの宝石商アドルフ・ウィルが買い取り、さらにアメリカのダイヤモンド商サイモン・フランケルに売却する。フランケルはダイヤをニューヨークに持ち込み、14万1032ドル相当と評価される。

* 1908年

フランケル、ダイヤをパリのソロモン・ハビブに売却。

* 1909年6月24日

ハビブの債務弁済のためオークションに出され、約8万ドルでパリの宝石商ローズナウが落札。
 
* 1910年

ローズナウ、ダイヤを55万フランでピエール・カルティエに売却。

* 1911年

カルティエ、宝石を装飾し直してアメリカの社交界の名士エヴェリン・ウォルシュ・マクリーンに売却。

マクリーンは当初ダイヤを使わなかったが、やがて社交の場でいつも身にまとうようになった。また、ペットの犬の首輪にダイヤを付けていたこともある。

* 1947年

マクリーン死去(61歳)。彼女は相続人に、自分の孫の将来を考えて今後20年間売却しないよう遺言した。

「呪いの伝説」では「マクリーンは教会で祈祷させたが一族全員が死に絶えた」とされるが、孫がいることでもわかる通り事実ではない。

* 1949年

相続人はマクリーンの債務の弁済にダイヤを売却する許可を得て、ニューヨークのダイヤモンド商ハリー・ウィンストンに売却。

ウィンストンは「宝石の宮廷」と名付けたアメリカ国内での巡回展や、各種チャリティーパーティーでホープダイヤを展示したが、売却はしなかった。

* 1958年11月7日

ウィンストンはスミソニアン協会にダイヤを郵送して寄贈。

ウィンストンは1978年に82歳で病没。
 

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