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June 21, 2004 space
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インディアナポリスの歓喜!佐藤琢磨3位表彰台!!!!

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インディアナポリスの歓喜!と呼びましょう!そう佐藤琢磨がインディアナポリスで行われたUSGPでF1初の表彰台3位獲得しました。やったぁ〜!!

ほんとよくがんばった。。最後の10週目で3位にあがってから久しぶりに緊張して、周りの音が聞こえないほど、今日の混乱のレースの中で本当によくがんばりって走ってくれました。素晴らしい。

us_gp_result.jpg
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 2004年F1世界選手権シリーズ第9戦アメリカGPは、アメリカのインディアナポリス・モータースピードウェイ(1周4.192km)で現地時間(以下現地時間)20日、73周(306.016km)の決勝レースを行ない、セカンドロー3番手からスタートしたB・A・R Hondaの佐藤琢磨が1-2フィニッシュを飾ったフェラーリに続き3位でフィニッシュ。
 


YouYube:http://www.youtube.com/watch?v=eLVXNAtiUsY

 
 F1参戦27戦目にしての悲願の“初表彰台”を獲得した。今日の佐藤琢磨のF1GP表彰台は、日本人14年振りの表彰台獲得で、たなぼたで3位になった鈴木亜久里さんとは違う、実力でもぎ取った3位としては初の表彰台と言ってかまわない内容です。

f1_usgp1.jpg

佐藤 琢磨
ポジション: 3位
ファステストラップ: 1分10秒727

遂に日本人が待ちわびていた瞬間がやってきた。佐藤琢磨が2004年アメリカGPにおいて自身初の表彰台を獲得したのだ。佐藤は何度も何度もオーバーテイクを繰り返し、アグレッシブなレースで3位まで再浮上した。

 佐藤 琢磨のコメント

「ボク自身だけでなく、チームにとっても本当に素晴らしい結果だった。メカニックはとてもハードに仕事をしてくれたし、栃木にいるホンダのスタッフも最近のトラブルを解決するために素晴らしい仕事をしてくれた。チームのために良い結果をもたらすことができて嬉しいよ。1コーナーではアウト側にルノーがいて少し驚いたね。それで1つポジションを落としてしまったけど、その後は混乱した状態になって、リスタートはまあOKだったんだけど、ラルフの状況はずっとコクピットに座ったままだったから心配だった。新しいセーフティーカールールでは、セーフティーカーが入ったときにプッシュすることができないし、チームは無線で燃料をセーブするように言ってきた。それに、ストレート上にはラルフの破片が本当にたくさん落ちていたし、彼はマシンに乗った状態だったから、それを避けるためにほとんど止まるくらいのスピードで走らなければならなかったんだ。だから、ピットに入ったミハエルを先行させてしまった。そうは言っても、素晴らしいレースだったしファンタスティックだよ」

us_ts_race_2.jpg

「正直言って、マシンは美しかったね(笑)カナダではロングランの状況でペースが少し欠けていたけど、今日はすごく安定していた。ポジションを取り戻すためにバトルをしながらプッシュすることができて、最終的にはこの結果だから素晴らしいよね」
 

f1_usgp2.jpg

 
 「まず最初に、本当に皆さん応援ありがとうございました。それから、チームのみんな、エンジニアのみんな、ホンダのエンジニア、それから栃木で一生懸命開発してくれている皆さん、本当にありがとうございました。今日は本当にみなさんのおかげで、こうして最後まで走りきって、自分のベストの表彰台を獲得できたことを、すごく嬉しく思ってます。スタート自体はすごく大混乱に始まって、特にセーフティーカー、ラルフのときは本当に長い間彼も座っていて本当に心配したんですけども、そこで2ストップでたくさん燃料を積んでたアドヴァンテージもうまく使えなかったんですけども、それでも最後までプッシュし続けて、こうした結果を得られたこと、本当に嬉しく思っています。これからもまだシーズン折り返しなんで、頑張っていきます」

 
f1_usgp3.jpg

 
 
303740.jpgミハエル ポディウムで琢磨を暖かく歓迎 
 
 6度のワールドチャンピオンであるミハエル・シューマッハは、インディアナポリスにおける佐藤琢磨の初表彰台を見て、彼が初めて表彰台に上がった1992年のことを思い出している。「あれはメキシコだったね。本当に同じような瞬間だったんだ」と、ミハエル。

 90年代前半、ミハエルはベネトンをドライブしていて、そのときはウィリアムズが圧倒的な強さを示していた。「佐藤についても、ミナルディについてもそうだけど、優勝したように感じているはずだよ。ボクはシャンパンとともに、ポディウムで彼を暖かく迎え入れてあげたい」と、ミハエルは語っている。

フェラーリのルーベンス・バリチェロが、初めて表彰台に上がったのは94年の日本GPだった。バリチェロは、初めて表彰台に上がるドライバーと至福のときを共有することができてとても光栄だと話している。

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