マイアミの奇跡とは、1996年アトランタ五輪の初戦で、日本がブラジルを破った試合。これも伝説となったサッカー日本代表の戦い。
日本はメキシコ以来28年ぶりに96年アトランタ五輪に出場した。メンバーは中田英寿、川口能活ら。グループリーグ初戦の相手はブラジル。下馬評は、どうやってもブラジル有利。しかし、西野朗監督に率いられた日本は「マイアミの奇跡」と呼ばれるドデカい仕事をやってのけた。 まさに、奇跡的な試合だった。ブラジルにはリバウド、ジュニーニョ、そしてべべトまでいた。日本は圧倒的に押されたが、何度もあった決定的なピンチを、GK川口がロベルト・カルロスの強烈なFKも身をていしてキャッチ。ゴール前に立ちはだかり、身体を投げ出してセーブ。 緊迫した展開にケリをつけたのは、後半27分、中央でボールを持った前園が左の路木へ。この時、前園と路木に対しプレッシャーを仕掛けてくる選手はいなかった。ボールをフリーで受けた路木はそのままドリブルで上がり、対峙するゼ・マリアが詰めてくる前にクロスを放り込んだ。すると、これを追って城がペナルティーエリアでDFアウダイールと競り合いに。そこへキーパーのジーダまでが飛び出してきた。
路木龍次の左サイドからのクロス。処理を焦ったブラジルのアウダイールとGKジダが接触し、ボールはゴール前へ。走り込んだ伊東輝悦がプッシュし、1−0。歴史的な金星を挙げた。 ロベルト・カルロスやベベットらを擁する「最強」ブラジルを破る歴史的1勝を挙げた瞬間だった!このときのメンバーにはロナウドもおり、その衝撃は全世界に走った。しかし、日本は決勝トーナメント進出を逃した。 「マイアミの奇跡」から10年
17歳以下、20歳以下、アトランタ五輪、シドニー五輪、フランスW杯、日韓W杯、ドイツW杯。引退するまでの間に中田は七つの日本代表で戦ったが、その中で「最も面白かった」というのが1996年のアトランタ五輪のチームである。
その思いは前園も共有する。「選手1人ひとりの技術が高く、手を抜くところ、集中するところのメリハリがきいていた集団だった」。メキシコ五輪以来、28年ぶりに五輪に出たチームは、本番でも「マイアミの奇跡」と語り継がれるブラジル戦の大金星を挙げた。
1973年生まれの前園は、77年生まれの中田と相部屋になることが多かった。フランスW杯もそうだったが、中田は優秀であるがために“飛び級”で上のカテゴリーに引っ張られ、代表メンバーで年少者になることが多かった。「それで、自然に同年代とか年上に囲まれた方が力を出しやすいようになったんじゃないかな」と前園。
ドイツW杯の中田は年長者の立場になった。前園は「ヒデは懐に飛び込んできた相手には世話を焼いても、自分から進んで、というタイプではない。それを近寄り難いと思う者もいたかもしれない」。
そういう中田の特性を理解できるアトランタ組がもっといれば、あるいはドイツでの結果は違ったのかもしれない。が、タレントぞろいといわれた選手たちも、実際にW杯に出たのは18人中6人だけ。ドイツにいたのは中田以外ではGKの川口だけだった。選手の消長の激しさが知れるし、数少ないアトランタ組だったCBの田中誠が大会直前に負傷で離脱したのが惜しまれる。
「日本×クロアチア」ワールドカップドイツ大会第2戦〜ニュルンベルク ワールドカップ8年前雪辱 クロアチア戦絶対に負けない! この話題のタイトルをいまさらながら後悔している、負けないではなく、勝つ!としなければならなかった。 オーストラリア 3 : 1 日本 逆転負け!でも気持ちは負けるな!:2006年
北京の歓喜:2004年 済南の死闘:2004年 重慶の奇跡:2004年 ジョホールバルの歓喜:1997年 マイアミの奇跡:1996年 ドーハの悲劇:1993年
エネループ・フレッシャー黒くて青く光る!「チョコレートブラック」登場!