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January 3, 2008 space
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ムー大陸はどこにある?ムー大陸の存在と繁栄、衰亡の謎

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ムー大陸の存在は、ナーカル碑文とトロアノ古写本に記された痕跡を独自に解析したのがきっかけだとされている。1868年、チャーチワードがイギリス陸軍の援護活動に従事して、インドに駐在していた時に、ある古僧院の老院主とであった。そして老院主の案内で古僧院の地下の穴倉を訪れた時、見たこともない文字で書かれた粘土板を門外不出の粘土板『ナーカル碑文』を目にしたのであった。
 

kanan_noa01.gif

 

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 これは何かとチャーチワードが老院主に尋ねたところ、「我々の先祖がどこから来たのかについて書かれてある」と答えたのであった。高僧の深い知識もあって、2年程で解読に成功したらしく、どうやら粘土板は、遥か昔の「ムー」と呼ばれる未知の大陸からやってきた「ナーカル(聖なる兄弟)」が記した歴史書だったという事が分かった。そして、その粘土板はムーの伝導聖徒「ナアカル」によってインドに運ばれたものであった。
 
 
 これに目を奪われたチャーチワードは、表現は多少異なっているものの、内容が旧約聖書の『創世記』にそっくりである事に気づき、ムーの歴史は、インドからエジプトを経由してシナイ半島に伝わり、それが旧約聖書に記されたのではないかと推理した。
 
 
 この推理はチャーチワードを研究に駆り立て、彼はインド各地の寺院を巡った後、世界各地を巡り、ムーの存在をの痕跡を探っていった。この調査の中で太平洋地域ハワイ諸島やイースター島をはじめとした多くの島々や国々に、失われた母国の伝承が残されている事をつきとめた。北米、中南米の伝承や南太平洋諸国の伝承など、60余年に渡って世界各地の史料を集めて「ムー大陸」を唱えるに至ったのである。
 
 
 ウィリアム・ニヴンというアメリカ人技師が、メキシコで発見したという2500個の石板に描かれていた紋様に、インドの紋様と同じ意味が読み取れる事に気づき、これらの集めた資料をもとに、チャーチワードは「ムー大陸は太平洋に実在した」という結論を下し、著書で発表した。
 

mu_point.gif

 
 首都は大陸の真中にあり、そして帝王ラ・ムーに率いられた太平洋の帝国は「太陽の帝国」と呼ばれ、高度な文明を築き挙げ優れた航海術で環太平洋一帯、即ち北アメリカや南米、更に中国大陸をも支配し、栄華を誇り、繁栄を極めた。
 
ムー大陸の存在

チャーチワードがインドで見たある一つの粘土板『ナーカル碑文』

全てはその粘土板から「ムー」という名の理想郷の存在を信じました。
太平洋にかつて存在してたといわれる幻の大陸。
そして幻の大陸と言われながらも、「ムー」という理想郷の存在は、
環太平洋文明圏の神話にかすかにも残っています。
 
そして「ムー大陸」の言い伝えは知らず知らずの内に、
私達の内なる心に「太郎伝説」として浸透していきました。
 
提唱者:ジェームズ・チャーチワード
首都:ヒラニプラ
国王:ラ・ムー
起源:約1万2000年前
規模:東西の延長8000km、南北5000km、太平洋の面積の半分以上

 
 
 チャーチワードによれば、ムー大陸は人類と文明の揺籃の地であった。大陸はごく狭い海峡によって3つに分割され、首都ヒラニプラを中心に 6,400万の人々が住み、帝王にして大神官ラ・ムーを中心に支配されていた。12,000年前、突如として海底に沈んだ。これはアトランティス大陸の沈没とほぼ同時期であるという。滅亡後、ムーの文明人たちは一旦未開人へと退化してしまった。
 
 ムーの繁栄
 
 ムーの繁栄について、チャーチワードはこの様に述べている。
 
 「その大陸には、人類史上初めての絢爛たる文明が開花していた。約6千400万人の人口を擁するこの大陸には、七つの大都市を中心に石畳の通路が網の様に伸び、官長、宮殿、神殿などの大石造建築物がそびえ建っていた。
 
 大西洋のアトランティスをはじめ、世界に広がる植民国家との間に貿易が栄え、港はどこも出船入り船でにぎわい、新しい産物が山積みされ、商人達の叫び声や合図のドラ、太鼓の音が一日中絶えることはなかった。
 
 波穏やかな海峡や水路では、きらびやかな服装を身につけ、たくさんの召使にかしずかれた貴族と富豪達が船遊びを楽しんでいた。優雅な楽の音や笑いさざめく声が水面を流れていった。燦々と降り注ぐ太陽のもと、熱帯植物にふちどられた大河が、ゆっくりと平野を横切って流れていた。木の根、草の葉、樹液、花も果実などから香料、調味料、新鮮な飲み物や食べ物が得られたし、栽培らしいことはほとんどしなくても肥沃の大地は自然の恵みを豊かに実らせた。水辺には、ムー帝国の国花であるハスの花が清らかな白い花を浮かべ、木立ちの中には色とりどり大型チョウやハチスズメが飛び交い、梢ではセミたちが声をかぎりに鳴いていた。」
 
 
 ムー帝国の衰亡
 
 太平洋を取り巻く周りの国々を支配し、高度な文明を誇り、繁栄の極みに達したムー大陸は一日と一夜にして跡形もなく消えうせてしまった。それは太平洋にあった巨大な大陸が一夜にして水没してしまったという。古代大陸水没について、『トロアノ古写本』はこの様に語る。
 
 チャーチワードはこの他にも大異変を物語る古記録を数多く取り上げているが、大陸水没について、チャーチワードは「大陸の地殻はガズで溜まっては爆発するという作用を繰り返してきたから、やがて地殻は厚みと強度を十分もつようになると、破壊されずに隆起に耐え、それが山となった」と語る。
 
 つまり、地下に充満した火山ガスの大空洞が原因で、ガス空洞ベルトは様々なコースで地下を走り回り、ムー大陸のガス・チェンバーが砕けだことでムー大陸は一夜にして滅び去ったという。そしてまたアトランティス大陸もこれと同じ原因で一夜にして沈んだと言うのである。
 
 
 沖縄のムー伝説
 
 琉球大学の海洋地質学木村正明助教授は沖縄海中を潜水調査した結果、「琉球古陸」を発見。しかもそれは突然寸断されていることが分かった。
 
 さらに調べてみると、驚くことに年代がチャーチワードの唱えたムー大陸の水没時期1万2000年前と時期が同じだという。沖縄には、浦島太郎を始め、数々の「失われた大陸」を仄めかす言い伝えがある。沖縄の「琉球古陸」こそ「失われた大陸」こそムー大陸ではないか.....
 
 この仮説が正しいかどうかは後々に期待するとする。
 
『トロアノ古写本』
 
カンの6年

ツクの月

11ムルクに恐ろしい地震が始まり

13チュエンまでやむことなく続いた。

地の丘の国

ムーの国は生け贄となるべき運命にあった。

大地は二度も持ち上がり

夜のうちに消えうせた。

地下の火の作用により

大地は絶え間なく震え

各所で盛り上がり

また沈んだ。

ついに地は割れ

10の国々(民族)は四散した。

こうして6千4百万の住民は

その国と共に水没した。

この書を編むに先立つこと

8千60年前の出来事である。


『トロアノ古写本』より


 

 
 ブラッスール氏が解読に用いた「マヤ・アルファベット」というものは全くのデタラメで、それを元に彼が解読した「失われた大陸」の記録である『トロアノ古写本』てのは、実は単なる占星学の本だったとされる。
 
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